「アラビアのロレンス」を手がけた巨匠、デヴィット・リーン監督が描く純情な不倫の物語。1946年の第一回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた作品でもある。
本作は、個人的に近年観た映画の中でも、TOP3に入るほど心に残った作品。言葉の卓越性と演者の表情、デヴィット・リーン監督らしい巧みな構成術が素晴らしかった。
男女の純粋な恋模様を描きながら、不倫という立場に罪の意識を覚える繊細な心情を描いた本作は、誰の心にも潜む密やかな下心を忠実に表現している。
今回は、僕のマイベスト映画の仲間入りを果たした映画「逢びき」について語っていこうと思う。本作はU-NEXTで配信されているため、機会があれば観てほしい。
映画「逢びき」あらすじ/概要
夫や息子と暮らす平凡な主婦ローラは、毎週木曜に近くの街へ汽車で出かけ、買い物や映画鑑賞をして楽しんでいた。ある木曜の夕方、帰りの汽車を待っていた彼女は、喫茶店で医師アレックと知り合う。その後、食堂でアレックと再会したローラは、彼もまた毎週木曜に友人の代診で街を訪れていることを知る。2人は惹かれ合い、毎週会うようになるが…。
引用:映画.com
【監督】
デヴィット・リーン
【出演】
セリア・ジョンソン(ローラ)
レトヴァー・ハワード(アレック)
【日本劇場公開日】
1945年5月
【時間】
86分
【国】
イギリス
「逢びき」考察レビュー|映画史上もっとも純粋な不倫※ネタバレ注意
①冒頭の汽車
冒頭、汽車が駅を通過するシーンから始まる。すでにこの段階で、本作であるヒロインのローラとアレックが、止まれぬ恋に加速する様子が暗示されているのだろう。
勢いよく蒸気を上げて走る汽車は、作中でブレーキの効かなくなる二人を表しているのではなかろうか。
②始まりとラストを兼ねるシーンの映し方
幕を開けた物語は、二人の男女に割って入るおしゃべりなおばさんのシーンから始まる。二人の男女とは、もちろんローラとアレックであるのだが、この冒頭のシーンがラストシーンでもあるのだ。
冒頭では、お喋りなおばさんの顔が見られるようになっており、ローラの表情は見えない。しかし、ラストになるとこの視点が逆になる。つまり、初めはお喋りなおばさんが割って入ってくるという“うざったさ”を強調しつつ、ラストへの伏線とする。そしてラストではローラの顔を見せることで、お喋りなおばさんの乱入によるローラの心情に焦点を当てているのだ。
見せ方を冒頭とラストで変えたことで、同じシーンでも一気に見方や感じ方を変えさせるという巧みな作りをしているのが、本作の面白さと言える。
③卓越したワードセンスが純粋さと背徳感を倍増させる
ローラとアレックが恋に落ちてゆく様子を思い出すのは、ローラ自身である。だが、その前提としてローラは自分がいかに平凡であるかを語り、夫の優しについて語っている。
この語りによって我々は瞬時にローラの境遇を察することになるのだが、それが徐々に不倫という背徳感を倍増させてゆくのだ。
そしてローラが発する言葉の純粋さの裏には、不倫という罪の意識を何倍にも重くさせる効果がある。たとえば、アレックと愛を囁きあった帰りの列車では、以下のように自分の心中を語っている。
車内の人目も気にならず、本を読むふりもしなかった。-中略- 夢見る女学生のように。
恋をしている相手と会ったあと、ニヤニヤとしてしまう自分を、本を読むふりをして隠すことはなかっただろうか?誰しもが経験のある出来事をあえて言葉にすることで、不倫のことを忘れさせるほどに純情を表現している。
それが返って不倫の後ろめたさを強調させることも、わかってやっているのだろう。
実際、デヴィット・リーン監督は、6度の結婚を経験している恋の男であった。そんな彼が常に抱き続ける新鮮な気持ちが、本作の親近感あふれる純情なワードセンスとなったのであろうか。
「逢びき」考察レビュー|まとめ
「逢びき」は、近年稀に見るベスト映画であった。
「アラビアのロレンス」と並び、さすがはデヴィット・リーン監督と言えよう。
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