「ア・ゴースト・ストーリー」のメモの内容とは何だったのか※ネタバレあり

ア・ゴースト・ストーリー

長尺のシーンに長い間。現代には決してそぐわないであろう作品だが、僕はとても好きだった。

今回は「ア・ゴースト・ストーリー」の中で、M(ルーニー・マーラ)が残したメモの内容について、感想とともに考察をしていきたいと思う。妻が残したメモは、“ある感想”だったのではないかと思っている。

なお、本記事はネタバレを含むため、未観賞の方は注意してほしい。

ア・ゴースト・ストーリー
目次

ア・ゴースト・ストーリーの概要とあらすじ

ア・ゴースト・ストーリーの予告
ア・ゴースト・ストーリーのあらすじ

田舎町の一軒家で若い夫婦が幸せに暮らしてたが、ある日夫が交通事故に遭い、突然の死を迎える。病院で夫の死体を確認した妻は、遺体にシーツを被せて病院をあとにする。しかし、死んだはずの夫はシーツを被った状態の幽霊となり、妻が待つ自宅へと戻ってきてしまう。

引用:映画.com

M(ルーニー・マーラ)が残したメモの内容とは何だったのか

ア・ゴースト・ストーリー

ケイシー・アフレックが演じる夫のCは、妻のMとの夫婦生活を謳歌していた。ただ、その家には不可解な物音がするため、妻は引っ越しをしたがっていた。ある夜のこと、夫婦が寝ているとリビングから大きな物音がして飛び起きる。何も落下したり壊れていたりしていないため、不思議に思いつつも夫婦は再び眠りにつくのだった。

少ししてある日こと、突然夫のCは交通事故で亡くなってしまい、病院でゴーストになってしまう。病院の廊下を歩いていると、光の扉が開くのだが、妻に未練のあるゴーストは入ろうとせずに家へと向かう。

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夫を亡くした妻は、悲しみに暮れながらも、いつしか恋人をつくり、夫の作った曲を聴きながら家を出る決心を固める。メモに何かを書き残し、柱の隙間に埋め込んで家を出るM。それを取り出そうとゴーストは柱をガリガリと削る。しかし、メモはなかなか取り出せないまま、家には新たな住人が入ったり出たりして、とうとう家が取り壊されてしまうのであった。

オフィスビルと化したその土地は、もはや夫婦で共に過ごした楽しい家の面影は1mmもなく、近未来的な世界に変わったかと思うとゴーストはビルの屋上付近から飛び降りる。

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舞台は変わり、家が建つ前の古い時代へと降り立つ。そこには家を建てようと野宿する家族がいるのだが、弓矢で殺されてしまう。再び月日は流れて家が建ち、自分たち夫婦が現れる。夫婦が引っ越しをしようと決めた夜、ゴーストはピアノにもたれかかる。そのときに大きくピアノの音が響き渡るのだが、これが冒頭の物音の正体だった。

その後は亡くなってゴーストと化した自分を背後で見つめるゴースト。妻の引っ越しを見送るゴーストを眺めるゴーストは、柱にメモを残していったことを思い出し、ついにメモを取り出す。妻の書き残していったメモを読んだ瞬間、ゴーストは真っ白なシーツを残して消えるのだった。


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ケイシーアフレックがほとんどシーツを被ったゴーストでいることに驚きを覚えつつも、その佇まいや動作に感激する。無機質な存在でありながら、妻に未練を残した哀愁を漂わせ、ちょっぴり怖くも愛おしくもあるゴーストだ。

目の部分も真っ黒で、謎に満ちた深い存在を存分に表していると思う。

夫を亡くした直後、家に戻ってきた妻が友人が置いていったパイを食べる長尺のシーン。虚しさや悲しみをいっぱいに詰め込んだこのシーンは、時間そのものが感情を表しているようだった。

冒頭で妻のMがこんなセリフを残している。「引っ越しが多かった。引っ越しの前にはメモを残して、戻った時に昔の自分を思い出せるようにした」と。実際に夫を亡くして家を出る時も、メモを柱に埋め込んでいった。

このメモの内容は最後まで明かされず、「ロスト・イン・トランスレーション」のように謎のまま終わる。果たしてこのメモには何が書いてあったのか。僕なりに考察をしてみたのだが、果たしていかがだろう。

このメモに書いてあった言葉は、きっと夫が作った曲に対する感想だったのではないかと考察する。

作中で夫は妻に自分の作曲した音楽を聞かせるシーンがあるだが、妻は聴き終わるとヘッドフォン外しすぐさま別の部屋へと消えてしまう。そんな姿に夫は落胆ともいえぬ微妙な表情を見せるのだ。

本作で謎めいているシーンは、メモの内容とこの夫が作った曲に対する感想だけ。もしかすると、妻は夫の曲に対して感想めいたことを書き残したのではないかと思う。

また、作中唯一の長セリフであるシーンでは、男が延々と人類の終焉について話しているが、ここでも“曲”の存在についてフォーカスされている。人類がやがて衰退し、地上に文明と呼べるものがなくなった時、誰かがベートーヴェンの曲を口ずさみ周囲の人々が人類を思い出して文明の再建を図るという内容だ。もし妻が夫の作った曲について書いていたら、夫の存在を証明しながらも、二人の愛を証明でき、ゴーストが成仏するには十分な内容だ。

もっとも、このメモの内容は、デビッド・ロウリー監督や夫役のケイシー・アフレックですら知らないのだから、あまり考察をしても意味がない。笑

この作品は、手探りの状態から監督と演者(ケイシー・アフレックとルーニー・マーラ)によって作り上げられた。このメモの内容も、監督のインタビューで内容を誰も知らないということが明らかになっている。

このメモの内容は、妻を演じたルーニー・マーラしか知らないのだが、本人ですら「覚えていない」といっている始末だ。もしかすると、この作品の意味をなくしたくなくて、覚えているけど覚えていないとシラを切っている可能性はある。

だからこそ、このメモの内容は対して意味がないのだろう。大事なのは、メモそのものであって、メモを見たことでゴーストが成仏し、物語が完結したことが重要なのだ。そもそもゴーストと化した夫が妻の引っ越しに憑いていかなかったのは、この家が二人の愛し合った証明だからだろう。引っ越し先で新たな人生を歩む妻を眺めていても、自分が居たことの証明にはならないし、愛し合った過去は消えてしまう。だからこそ、この家に居続けたのだろう。

だが、妻が消えてしまい、愛し合った過去の物たちは消え、次々と新たな人間が住み着く。ゴーストは新しい入居者に嫉妬を露わにし、次々と追い出していく。

ゴーストは自分たちが愛し合った証が欲しくて、妻への未練を捨てきれないことがわかる。とにかく自分が存在した証明と、愛し合った妻との証が欲しかったのだろう。

そしてついに、メモを柱から取り出し、中身を見た瞬間に成仏を果たす。このメモには、きっと二人が愛し合った証明、ゴーストがMの夫として存在した証があったのだ。


夫を亡くしたときのルーニー・マーラも、悲しみと空虚な心のうちが現れていて、つい僕も考えてしまった…妻がいなくなってしまったら…と。ゴーストの気持ちもすごいわかる。言葉はないのにひしひしと感情が伝染してくるのは不思議だな。

とにかく、僕はこの映画が大好きだった。抒情詩的なこの作品は、観た人それぞれに受け取り方が合っていいと思う。

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この記事を書いた人

中学高校で映画にハマり、20歳までに鑑賞した作品は1,000を超える。
現在はフリーライターとして、映画のコラムや企業のホームページなどの執筆を担当。映画のジャンルは問わず、面白そうな作品はなるべく映画館で鑑賞する“映画館好き”でもある。

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