ジャン=リュック・ゴダール初の長編監督作品。
「海も山も街も嫌なら、勝手にしやがれ」と主人公がスクリーンを観る観客に語る。
ゴダールはのちの映像表現に多大な影響を与えた名監督だ。映画史としても重要な作品でもあるが、映画はいつだってその人の心に残り続けるかどうかで決まる。
高校生の頃、「軽蔑」観た。ジャン=リュック・ゴダールの最も有名な作品であるかもしれない。多感な高校生のころに観た「軽蔑」は、正直に言ってよくわからなかった。必死に頭を巡らせて考えたが、ダメだった。
それからジャン=リュック・ゴダール監督の作品は避けていたのが本当のところ。でも、結婚をして子供産んで、それなりに成長した今なら少し理解できるかもしれない。そう思ってジャン=リュック・ゴダール監督の作品を観ることにしたのだ。
「勝手にしやがれ」は、映画史としても非常に重要な作品であるが、ここではそれを無視して率直な感想を綴りたいと思う。知識で映画を観るのは二の次。一番はその作品を自分自身がどう感じたかが大事なのだから。
映画と観客を繋げる手法
知識で映画を観るのは二の次と言っておきながら知識を披露するのは忍びないが、僕の大好きな作品に「フェリスはある朝突然に」という映画がある。主人公のは、シャワーを浴びながら「人生楽しまなきゃ嘘だ」という言葉を観客に向かって放つ。この言葉は今でも僕の心に深く残っている言葉でもあるのだが、「勝手にしやがれ」でも観客に向かって語りかける場面が出てくる。
この語りかけにより、観客は映画の当事者となり、映画で起こる出来事をリアルに置き換えることができるのだと思う。
ダメ男と学生の恋愛物語
「勝手にしやがれ」は、ダメ男と学生の恋愛物語だ。
警官を殺した自動車泥棒のミシェル・ポワキャールが、フランスへ戻ってアメリカからの留学生であるパトリシアのもとに転がり込むことから始まる。
女学生のパトリシアは、ミシェルとの愛が本物であるかを確かめるために苦悩するのだが、ミシェルはただセックスがしたいだけ。口では「君がいないとダメだ」「一緒にいてくれ」というが、パトリシアは疑問を抱く。
現代の日本においてもこのような構図は珍しくないだろう。ダメ男とそれに恋する女。ダメだとわかっていても惹かれてしまう。そんな二人の関係、心理がよく映し出されている。
特にベッドのシーンでは、ヤりたいだけのミシェルとそれを拒むパトリシアのすれ違い様がよくよく現れていると思う。「あ、こいつ本当にダメ男だ」「あ、こりゃ完全にダメ男に惚れちまった哀れな女だ」と確定する。でも、本当のところはこの関係性がリアルであることに気が付く。
現代でも二人のような関係になってしまっている人も多いのはなだろうか。自分に置き換えたとき、果たしてそれが他人事だと言い切れるだろうか。
ジャン=リュック・ゴダール。彼の映画を引き続き鑑賞していきたいと思う。
「勝手にしやがれ」概要
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:ジャン= ポール・ベルモンド(ミシェル・ポワカール)/ジーン・セバーグ(パトリシア・フランキーニ)
時間:90分
公開日:1960/3/26(日本初公開)
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